生と死を見つめる物語…「ハロウィーンがやってきた」

ハロウィーンがやってきた



ハロウィーンがやってきた

作者: レイ・ブラッドベリ, 伊藤典夫
出版社/メーカー: 晶文社
発売日: 1975/01
メディア: 単行本


私が初めて、この本を読んだのは中学の頃でした。そしていま・・・20数年ぶりに読みました。本をもった感じとか、なかに挿入されたイラストとか懐かしいものを感じながらの再読でした。
しかしながら、歳月はすっかり記憶を風化させてくれたようです。
もう内容はほとんど忘れていた、といっていいでしょう。
おかげで新鮮に楽しく読み終わることができました。


これは児童向けの長編小説ですが、大人が読んでも十分読み応えはあります。
何より、生と死についてちょっと立ちどまって考えてみる。その口実になります。


日本ではハロウィーンはあくまでも海の向こうの国のお祭りという感じで、とくに何をするということもないでしょう。まぁ中にはそうじゃない方もいるかもしれませんが、私の周囲ではそういう感じ。
知識のみはあっても、実際どういう感じのものなのか、それは体験してみないとわからないものでしょう。


けれど読書はそれを可能にしてくれます。中学のころ、私ははじめてハロウィーンのことをこの本によって知りました。
あの頃は今よりそういう情報が乏しくて、外国にはこんなお祭りがあるんだなあ、と思ったものでした。

そしてただ楽しいだけのお祭りじゃないんだ、ってことも。


あの頃はそういうことは感じなかったかもしれませんが、今日この本をふたたび読んだ私は、日本にはハロウィーンはないけれど、似たような趣旨のお祭り(とは言わないでしょうけど)があるじゃないかと思いました。


この本では、本当のハロウィーンとは、ただ楽しいだけのお祭りじゃなくて、人の生と死を見つめるものなのだ、とそのお祝いなのだと言っています。
死んだひとがもういちどこの世に帰ってくるように、ご馳走を用意して待っている。
そして、もうひとつの意味。この世に悪霊や死霊がさまよいこんで悪いことをしないように、ご馳走をもって待ち構えている。

いたずらか、もてなしか? というハロウィーンの問いかけはこういうところから来たのかもしれません。


もともとのハロウィーンがどういうものだったのか。それは実際、本の扉をひらいて確かめてみてもらうとして。
ひとつだけ。古代ケルトでは10月31日を一年の終わりと考えており、一年の始まりが11月1日とされていたそうです。
夏が去って冬がこようとする時期。夏のかがやかしい太陽が死に、冷たい冬がはじまろうとするこのとき。また新たな太陽がのぼってくることを祈って、原始の時代から人びとは祭ってきたのかもしれません。


むかし読んだときにはあまり深くは考えなかったような気がしますが、この話の最後で
少年たちがくだした決断。
たいせつな友人が帰ってくるためにした行為は、より重たいものに感じました。
いまはそれほど重大なことに思えなくても、最後になってみれば。というの…
でもそれでも、あえてこれを選んだのですから。悔いはないでしょうね。
実際、いまその場に立たされたら、それを選ぶかどうか私は自信ないですが。


再読ゆえに得たものもありました。
この前に読んだブラッドベリ作品を思い起こす部分があって、ふんふん〜と興味深かったです。
とくに最後のほうの、メキシコのハロウィーンの場面。
砂糖をまぶしたどくろのお菓子。地下洞窟におかれたミイラたち…
10月はたそがれの国』に収録の「つぎの番」を思い出してしまいました。
これ、これ!って感じ。全然おぼえてなかったんだけど、けっこう重要な場面だったんですねぇ。

再読してよかったです。