「天山の巫女ソニン」菅野雪虫

天山の巫女ソニン 1 黄金の燕

天山の巫女ソニン 1 黄金の燕

mixiでこの本が話題にのぼっていたので興味を持ちました。
全然知らない作家さんだなあ、と思ったら講談社児童文学新人賞をとったばかりの、新人作家さんでした。
帯裏に、同じく児童文学作家で私も大ファンである、たつみや章さんの推薦文が載っていたので、さらに期待度が高まりました。


題名と表紙の印象から、『十二国記』のような中華風ファンタジーなのか思い込んでしまいましたが、読んでみたらちょっと違いました。
確かに、国の名前は巨山(コザン)、沙維(サイ)、江南(カンナム)と、中国風で主人公の名前もソニンとちょっと韓国風?な印象もあるのですが…
国を治める統治者、王族の感じがどうも西洋風の、よくあるパターンのように思えてなりませんでした。
主人公が着ている服などは着物という記述があるので、中国よりになるのかもしれないけれど。
この本の元のタイトルが「ソニンと燕になった王子」というものだったらしく、文章が「です・ます」調で書かれていることからも、これはファンタジーというよりもメルヘン、童話に近い性質をもった小説なのではないかな、と感じました。
それならば、厳密な意味での西洋、東洋の違いなど些細なことになるのかもしれません。



「生後まもなく、巫女に見こまれ天山につれていかれたソニンは、十二年間の修業の後、素質がないと里に帰される。家族のとの温かい生活に戻ったのもつかのま、今度は思いがけない役割をになってお城に召されるが……、三つの国を舞台に、運命に翻弄されつつも明るく誠実に生きる、落ちこぼれの巫女ソニンの物語」


以上が、カバー折り込み部分に書かれていたあらすじです。
天山で修業、というのはある技術を磨くためのものです。
それは夢見というもの。香をたいて、魂を体から解き放ち、遠くで起こっている出来事や、人々を見るための力です。
そのために巫女たちは長いあいだ、遊ぶことも楽しくすごすことも知らずに、ひたすら技術の習得につとめます。
多くは幼いころ、何もわからずつれてこられて。
ごく狭い部分だけ見させられ、強制された生活です。
そのことに多くの巫女たちは疑問も抱いていません。
ソニンもそうでした。だから山から下ろされたときはショックだったでしょう。
下界に降りれば、普通は世俗にまみれて、天山にいた頃のことなど忘れ、もう二度と天山の門はその者に対して開かれないようになってしまうものだったのですが。
ソニンはちょっと違いました。何事にも前向きで、まっすぐ上を向いて生きていこうとする姿勢。
運命のいたずらか、王宮に召され、王子の侍女として仕えることになっても、その心は天山にいた頃と全く変わることはなく。


ある事件が起こったのちも、それは変わらず、ソニンは自分の運命に雄々しく立ち向かっていこうとするのでした。
そんな彼女の姿勢に、この本の魅力があるのかもしれません。


話としては正統派な印象で、ファンタジーを読みなれた人にとってみたらそんなに目新しいものはないように思えるのですが、あまり読みなれていない人にとってみたらすごく面白く感じられるのかもしれませんね。

まだ第一部、ということで続編があるらしいので、今後に期待したい作家さんですね。