「私が語りはじめた彼は」三浦しをん

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

「私は、彼の何を知っているのだろうか? 彼は私に何を求めていたのだろう?大学教授・村川融をめぐる、女、男、妻、息子、娘――それぞれに闇をかかえた「私」は、何かを強く求め続けていた。だが、それは愛というようなものだったのか……」

前に一度図書館で借りたけど、読めずに返した本。文庫化されてやっと読んだけれど、何かいつものしをんさんの本とはちょっと違う印象をうけました。大学教授、村川融をめぐる人間たち、妻、愛人、息子、娘、教え子・・・彼らが、「彼」を語る趣向になっています。そして決して村川本人が語ることはないという・・・ ちょっと変わった趣向です。

この村川という人物は、決して人好きのする人物ではなく、さまざまなトラブルを起こすような人物。6つの話のどれをとっても、陰鬱で、じめじめっと肌にまとわりついてくるような感があり、正直この暑い夏に読むべき物語ではなかったような気がしてしまうほどでした。もっと落ち着いた状況でじっくりと取り組んで読めば、まるで文学作品のような味わいをあたえてくれるものなのかもしれません。

この中でも、とくにひきつけられたのは、かつて村川と師弟関係を構築していた三崎の話。三崎は冒頭の話にも出てくる。けっこう重要な役どころなのかもしれません。
次第に冷え切っていった師弟関係に、「私」である三崎は、村川の訃報を誰からも連絡されずに、新聞の訃報欄で初めて知る。もう二度と先生に会うことができないと知り、三崎は初めて自分が先生に認められたかったのだと悟る。三崎には妻がいるが、子どもはいない。それでも妻とのあいだに信頼関係を築き、円満な結婚生活を送っていると信じていた。なのに、彼らのあいだに割り込むようにして、毎日通ってくる男子高校生がいた。これは普通に考えたら、由々しき問題であろうのに、妻の伊都は平然とし、まるでその高校生、奥村君を自分の息子のように扱っている。全くの他人なのに、平気なふうで毎日家により、夕食を食べていく彼の存在を、三崎は認められないでいる。

このパートでは、主軸とされる村川の話とはちょっとわきにそれた感じで、子どものいない夫婦のあいだに入り込んでくる、不思議な存在、男子高校生の話のように思われます。村川は、ただ三崎の思い出のなかにあり、妻や男子高校生とは全く関係ない存在です。なのに、関係ないようでいて、しっかり関係はあるのです。ただ三崎のこころのなかで・・・

三崎は村川の訃報に接し、葬式にでるために九州へ足を運ぶのですが… そこで、三崎はある考えに至る。

「愛ではだめなのだ。(中略)愛の力学は底知れぬ闇にひとを引きこむだけなのだ。」
「先生は女たちに愛を求め、女たちは先生を愛した。だが、先生を理解したものはなく、先生に理解されたものはない。」

結局、三崎は先生のように愛されることではなく、理解されることを望むのです。決して先生がたどりつけなかった場所、理解されるということを選ぼうとする。そこで、初めて三崎は、自分が語るのではなく、相手(妻、伊都)に話を聞かせてくれ、という。それがかなったとき、三崎ははじめて執りつかれていた先生への呪縛の糸を断ち切れるのでしょうか。はたして、それがかなうものなのかどうかは、定かではありませんが。

村川自身の言葉や描写もなく、読者ははっきりとした像を結ぶことはできないので、もやもやとしたもどかしさのようなものが残る作品ではありましたが。現代の男女の恋愛関係、家族関係がもつ問題の一端を垣間見るようなところはあったように思いました。

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まゆ > 「愛じゃダメだ」というのが、この物語のテーマだったみたいですね。暗いし濃いんだけど、独特のひんやりした感じが、私は嫌いじゃなかったです。読んで明るい気分にはなれませんでしたけどね。 (2007/08/30 20:52)
北原杏子 > まゆさん、私はどうも夏の暑い時期に読んだせいか、あまり読後感がよくなかったのですが。最後のところはなかなかよかったですがね。 (2007/09/01 00:06)