「こころ」夏目漱石

こころ (集英社文庫)

こころ (集英社文庫)


ご他聞にもれず、学生時代、国語の教科書で出会って、のちに自分で文庫本を買い、通読した本。漱石の作品としては、「我輩は猫である」が初めての出会いでありましたが。「こころ」は、学校で教科書を読んで、そのショッキングな手紙の内容を先に知ってしまったようなものでして。のちに読んだ文庫本の前半部分、「先生と私」「両親と私」については、全く記憶に残っていなかったという凄まじさ。確かに読んだはずなのに、一冊の本をこうも見事に忘れ去る私の能力は如何に?というところですが。

後半の「先生と遺書」がこの本の主たるものになっていて、先生とKとの関係があらわにされる、ミステリーでいえばねたばれの部分なのですが。これに比べれば、前半は地味で、かすんでしまってもしょうがないのかもしれません。けれど、先生の本心を知ってから、前半部分を読むと、いろいろな深読みができて楽しいのかもしれませんね。

私は全くそういうことには考え付きもしなかったのですが、この集英社文庫版の解説には、昨今の腐女子の話題を想起させるようなことが書いてあります。先生と私の関係を、腐女子ふうに見ているという、本来の筋からは離れたようなものですが。愛とは執着することであり、私の先生への執着のしかたは尋常ではないというのです。

確かに、死の床にいる父を置いて、先生の遺書を握り締め、夜行に飛び乗る私の行為は常軌を逸しているのかもしれません。先生、先生と、ひたすら奉る私のすがたは、郷里の父母や、叔父たちの目には奇異にうつったのかもしれません。だって、先生という人物は何も先生と呼ばれる筋合いはない、家に財産があるだけのただの遊び人なのですから。

当時の言葉では、高等遊民などといって、格調高いように見えますが、その実は働きもしないで、家の財産を食いつぶしていくだけの、今でいえば遊び人みたいなものなのですから。
そんな男を先生と呼ぶ私の心とは? 私にとっては、そんな男でも大切な存在だったのですよね。父の死をわきにおいても、先生のもとへ駆けつけていくほどの。

そして私は、ついに先生の手紙=遺書に目を通す。
その内容は凄まじいもので・・・若かった先生と、友人Kとの関係すべてが私の前に明かされるのです。

最初に読んだ当時もでしたが、やっぱり怖かったのは、Kが死んだ場面。わずかに空いたふすまの向こうから吹いてくる風に、ふっと目を覚ました私(先生)が、目にしたもの。ここらあたりは、そんじょそこらの怪奇小説もびっくりの怖さです。
Kの自殺に、先生は初めて自らの罪の深さに思い知るのでしたが・・・先生の全生涯にわたって、その暗さがのしかかってくるような・・・Kの死。

Kがなぜ自殺したのかは、直接の原因は自分が計算づくで放ったあの言葉「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」のひとことから、でした。お嬢さんへの失恋ということもあったでしょうが、誇り高く、僧侶のような節制と禁欲のなかにいたKにとっては、その言葉はキリのごとくに食い入ってきたことでしょう。

意地とプライドの塊のようだったKにはひとたまりもなかったことでしょう。お嬢さんへの恋などという誘惑にのって、自分自身に負けてしまったのだと。そんなふうに思い込んだのかもしれません。いわば、彼は自分との戦いに負けたと思い、死を選ぶしかないのだ、と自ら追い込んでしまったのでしょう。
それが正しかったのかどうか・・・のちの先生も自殺という、Kと同じ道をたどるのですが、それも正しい選択だったのでしょうか。

死のみがすべてを解決するのだ、と思い込んでしまう人間の弱さ。生きることを恐れ、架された荷の重さにうなだれ、途中でその苦しさを投げ出してしまった先生とK。先生の遺書を読んだ、「私」は、彼らの人生を、どのように理解するのでしょうか。受け入れるのか、それとも反発するのか。その結末は誰にもわかりません。先生の遺書で、ふっつりと物語の糸が切れているからです。

ただ、想像することだけはできるでしょう。
先生と結婚したお嬢さん、先生の奥さんになった女性のことも同じことです。彼女は、彼らを一体どうみていたのでしょう。最初はKと親しげにしていたふうだったのに、母親からの命令にしたがってしまう彼女の本心とはいったいどこらへんにあったのか。
すべてを知っていて、先生を受け入れていったのでしょうか。Kの死という陰惨な結末があったというのに、それすらも乗り越えて?だとしたら、彼女こそ強い女性といえるのかもしれないけれど。想像の上でしかそういうことを知ることができないのが惜しく思えますが。

明治の偉大な文豪、夏目漱石が訴えてくるもの。それらを自分なりに読みとき、答えを見出していくことこそ、この「こころ」という作品を読む上での、読書の方法なのではないでしょうか。そんなようなことを、何十年ぶりかで再読した私は思いました。

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双子星 > こんにちは。「こころ」懐かしいです。私も高校のときの国語でやりました。前期3部作と後期3部作、全部読みましたが、私は前期では「三四郎」と「門」、後期では「彼岸過迄」と「行人」が好きでした。「こころ」は・・・どの人物も理解不能だったので、難しかったですね。「私」が「先生」に惹かれる理由がよくわからなかったです(むしろ、父の方が人間として魅力的に感じました)。

ちなみに、高校の時の国語の先生は「お嬢さんは先生が好きだった」説でした。何でも、Kと親しくしてみせたのは、やきもちを焼かせるためなんだそうです。 (2007/09/07 17:52)
北原杏子 >こんにちは! 私も高校のときに「こころ」授業でやったと思います。今となっては記憶もほとんど無いのですが。短大では「それから」を卒論に選んだくせして、全作品は読んでなかったと思います。どれを読んでどれを読んでないかという記憶すらあいまいで・・・^^;
「こころ」も高校生の自分には難解だったかも。かえって今、読んだほうが新鮮に感じられるのかもしれません。私も今回、読んで「父」のほうが人間としては魅力的に感じられました。歳のせいかしら?(笑)