自分の居場所・・・「今ここにいるぼくらは」


今ここにいるぼくらは

今ここにいるぼくらは


川端裕人さんの本は、「川の名前」「ふにゅう」を読んだとき以来ですが、これは短篇集。いちおうオムニバスになっているのかな。博士(ひろし)という名前の男の子の物語です。
名前からあだ名がハカセという。その彼の小学校時代の物語です。
でも話は時系列順に並んでるというわけじゃありません。それにはあるわけがあるのですが。


1話目1年夏休み、2話目5年二学期、3話目4年夏休み、4話目6年一学期終わり、5話目3年5月、6話目6年二学期、7話目6年3学期終わり〜卒業式…


と、まあこんなふうになっているわけですが。
この主人公は父親の仕事の関係でたびたび転校していたみたいで、1年の時に転校して関西の小学校にきて、そこに2年とちょっとおり、その後3年生になってしばらくしてまた転校。今度は関東の方へ… それから6年生まで1つの学校に通っていました。


途中、どうして過去にもどってしまうのかわからなかったけれど、最後まで読んでやっと何故なのかわかって、そうだったのか!と目からウロコでした。作者の意図がよーくわかります。


主人公の少年がすごす小学校時代。そこには、現代では忘れられてしまったさまざまなものが充ちています。
川を遡って水源を探しにいこうとしたり、釣りに凝ったり、クワガタやカブトムシを採って飼育したり、UFOや宇宙人にかぶれたり、または星空に憧れて天体観測にハマったり。
それは、たくさんの素敵なことがあったに違いありません。


そこにいる少年たちはいつでも輝いています。
泣いたり笑ったり、傷ついたり傷つけたり・・・そんなことのくりかえしをかさね、やがて大きく成長していく。
転校生だった少年が周囲と和解し、理解しあい、仲間になって・・・やがて自分の居場所に気付いていく。


この、自分の居場所について悩む博士の思い、私はわかるような気がしました。いったい自分はここにいていいんだろうか、まわりにいる友達、先生、家族。それらのなかにいて、違和感を感じる毎日。胸の奥を吹き抜けていく虚しい風のような、何か。
私は転校生だったことこそないけれど、それに類した経験をしたことがあったので。学校ではふつうにしているけど、実は・・・と、つねにとんだ爆弾をかかえていたようなところがありましたから。


博士がどんなふうな経験をつんで、自分の居場所を見つけていくのか。
それはじっさい本書を読んでいただくとして。


さまざまな興味深いエピソードを通して、この本はそういったものごとを語りかけています。実際、冒頭部分から、まるで作者自身が読者である私たちに語りかけているかのように錯覚するのですが。
大人になった博士が、自分の少年時代を懐かしく思いかえしながら、語っているようにもとれました。


私自身もちょっと懐かしくなりました。川端さんが幾つなのかは知りませんが、そう違わない世代(それかちょっと上か?)のようにも思えます。
最後の、卒業謝恩文化祭というので出てきたヒット曲だの、テレビ番組、起こった事件のことなど見るにつけ、そう思います。


そういう意味でも、この作品はどこか懐かしい、私の小学校時代の物語でもあった、と思うんです。
根っこの部分に、理解できるものがありました。前作「川の名前」を越えるものがあったかもしれない、そう思えた作品でした。