「騎士の息子」〈ファーシーアの一族1〉ロビン・ホブ


騎士(シヴァルリ)の息子 上 <ファーシーアの一族> (創元推理文庫)

騎士(シヴァルリ)の息子 上 <ファーシーアの一族> (創元推理文庫)

騎士(シヴァルリ)の息子 下 <ファーシーアの一族> (創元推理文庫)

騎士(シヴァルリ)の息子 下 <ファーシーアの一族> (創元推理文庫)


上下巻やっと読めました。ですが、もっと落ち着いて読む時間と気力があったら、きっともう少し早く読み終えていたでしょう。最近、読書力が落ちてるもので…
でも面白かったです! 久々にこれは当たりだと思えるファンタジーでした。


まず冒頭から私は引き込まれました。人によっては暗いとか思われるようですが、私はその暗さによって逆に物語に引き込まれ、先を読まずにはいられなくなりました。
祖父の手によって母親から引き離され、城へ連れてこられた主人公のわたし。
物語は、このわたしの回顧録という形をとっています。その記憶は六歳から突然、はじまっており、それ以前の記憶は全く残っていません。
母親の記憶も当然ないのですが、それどころか彼は自分の名前さえ覚えていなかったのでした。


〈技〉とよばれる力を持ったファーシーア(遠視者)一族が治める六公国。王の後継者たる、継ぎの王である、第一王子シヴァルリの庶子として、この「わたし」は生まれました。

名さえつけられることなく、彼はただフィッツ(庶子)とか坊やとか呼ばれていました。城へつれてこられてからも彼は名なしの状態で、以後はフィッツと呼ばれることになるのですが。
時々、蔑みをこめて私生児などと呼ばれることもありました…

フィッツの父親であるシヴァルリ王子は、一度も息子の顔を見ることもなく、庶子をもうけたという醜聞のために自ら継承権を捨て、妻とともに隠遁の地へと去ってしまいます。
母の記憶も自分の名前も知らぬまま生まれてきたこと、会うこともなく去っていった父親、…フィッツの前途は暗く、孤独に充ちていました。


彼は厩番の手に預けられ、厩舎で育つことになります。仔犬や馬たちといっしょの生活。
その厩番とは、かつてシヴァルリ王子の臣下であった人物でした。
フィッツはこのブリッチとともにやがて王の住まう居城のあるバックキープへ帰っていきます。そこにもフィッツを待ち受けているさまざまな出来事があり・・・結局、彼はその地で教育をうけることになるのですが、その教育というのが一風変わったものだったのです。
馬術や武術はまあ当然という感じですが、もうひとつは何と暗殺者になる教育だったのです。それも密かに。


そうしたなかで、六公国にあるとき、大いなる脅威が襲い掛かるのでした。
それは外島人からの襲撃で、その要望は「金を支払わなければ、人質を帰す」という奇妙なものでした。普通、逆じゃないかと思われますが、実際は帰ってきた人質は無事では済まさなかったのです。
そこに起こったことに、六公国の人びとは恐れ、おののきます。


それから、襲撃はたびたび起こるようになり、やがて六公国を脅かす存在となってしまいます。
孤独をかかえたフィッツの悩み、苦しみと交互にこの脅威は語られていき・・・
やがて、この脅威をとりのぞくために、かつて六公国で行われてていた教育、〈技)を学ぶものたちの教育が行われるようになるのでした。


フィッツがどうなるのか、気になって気になって・・・先を読まずにはいられません。
これはハマります。
どこにも属さないで、つねにひとりきりだという彼の孤独。そして次々と打ち据えられる拳の数々。その行く末を見届けたい、と願うのは当然の結果でしょう。


世界観は既存のファンタジーとそう変わらない感じですが、一族のもっている力、〈技)という力の存在が大きいと思います。
フィッツもこの〈技〉を学ぼうと努力を重ねるのですが、彼にはもうひとつ、べつの力があるんです。
それは〈気)というもので、最初は〈技)とどう違うのか判然としなかったんですが。
〈気〉も〈技〉と同じく一種のテレパシー能力で、動物と意識がつながったり、そこにいるものの存在を感知したりするもののようですが、この力はなぜか六公国では忌み、嫌われています。
フィッツはこの力ももちながら、〈技〉の力をも学ぼうとして・・・


下巻の最後のところで、一応の決着はついたようにも思えますが、その前途にはまだまだ不安が残ります。
これからどうなっていくのか、早くも次巻を読みたくてたまらなくなっています。


フィッツのほかの登場人物たちも、鮮やかに描かれています。
それぞれの個性をもって。


名まえの意味、ということもあります。この六公国では、名前の意味が重視されていて、それぞれ意味のある命名をされているのです。
たとえばフィッツの父親シヴァルリには騎士という意味があります。タイトルの「騎士の息子」の「騎士」にもシヴァルリのルビがつきます。
六公国の治めるのは賢明(シュルード)王、シヴァルリの弟は真実(ヴェリティ)王子、そのまた弟(腹違いの)は帝王(リーガル)王子、というふうに。


だから、フィッツの名まえの意味も、問題になってくるわけです。
庶子とか私生児とか、侮蔑されて。


読み手は彼、フィッツとともに物語を追いかけることができ、その感情や起こった出来事を共有させられるような心地になります。
翻訳の文章も非常に読みやすく、物語に容易に溶け込むことができる、と私は思いました。
またフィッツと犬との心の交流も胸うたれるものでした。六公国では忌み嫌われた、獣の魔法のようですが、私にはそれほど悪いものとは思えませんでした。


今後の巻で、私の疑問や不安に答えがでてくるのでしょうね。
2巻を読むのがたいへん楽しみです。