「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ

逃れの森の魔女

逃れの森の魔女

これはグリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」の魔女を主人公にしたパロディ作品です。
しかも、魔女になる前の話からはじまっています。

魔女といえば、悪しき者と決め付けられていますが、この作品ではちょっと違う。かつて魔女は、娘を愛する母であり、神を愛する魔術師だったのです。

すがたかたちは、童話にでてくるように、腰がまがった醜い容貌をしていますが、その心は神の教えを守ろうとする愛に満ち溢れていた、という設定。

それだけに、童話とは全く違った解釈で、新しい光をあてて読むことができましたね。

産婆としての仕事のお礼には、娘アーザが喜ぶだろうものを選んでしまう。そんな彼女は美しいものが大好きでした。
貴族のえらい人にたのまれて、子どもをとりあげたときにも、金貨よりもエメラルドを選んでしまうし・・・
けれど、病気の子どもの命を救うため、初めて魔方陣を描いて、悪魔を召喚したときから、彼女の運命は変わってきました。
・・・魔女の棲むあの森の話へ、と。

少年を助けるために、悪魔を追い出そうとしたそのやりかたには、ちょっと驚きました。
悪魔祓いやなにかを、連想させます。
それと娘がもらったハッカキャンディを、自分の小屋の屋根に貼り付けたときは、ちょっとドキッとしましたね。
お菓子の家の原典か!とね。


それと彼女が、赤ん坊の命を救おうと、見せかけの魔方陣を描いて、それで・・・っていうシーン。
ある指輪が出てきたけど。やっぱり金でできてる指輪って、禍々しい存在のような気がしますね。
金の指輪には、人間の欲望をひきだすものがあるんでしょうか。かの『指輪物語』のように。(教訓として、金の指輪には気をつけろ!です)

それから、グリム童話に描かれているあの世界へいくわけですけど。でも童話とは違っている部分があって。
そこのところがとても興味深く読めました。
まったく別の話のようでした。視点とその感情が変われば、これほど化けるものなんですね。

お菓子の家がどうして出来たのか、っていうことにも説明がされていて、ああそうだったのか!って目ウロコでした。
蜘蛛が入り込まないよう(なぜかっていうのは実際に読んで)、せっせと掃除するってのも興味深かった。

それとヘンゼルとグレーテルのきょうだいですが。日本では、ヘンゼルが妹で、グレーテルが兄となっている、と巻末の解説に書いてあったんですけど、どうだったかなぁ・・・?と自分の記憶をたどりました。
この話では逆で、グレーテルが姉で、ヘンゼルが弟ということになってます。よく考えてみれば、そうですよね。
グレーテルが女名で、ヘンゼルが男名よね。どうしてそれが逆になっちゃったのかな。
そのへん、考えれば面白いかも。

でもこの作品では、グレーテル=姉で正解でした。気弱な弟ヘンゼルを助けるために、って構図がうかびあがってくるもの。こっちのほうが自然だ。

グレーテルが女で、姉さんだったことが、魔女の心にぐっと近づけた要因だったかも、などと考えました。

最後、魔女は童話の通りにヘンゼルを食べようと、天火を熱くするようグレーテルに命令するのですが。
グレーテルをにらみつける魔女の目にこめられた願い。それをグレーテルが正しく読み取ってくれることを祈って、魔女がこころみたこと。

それを思うと、ほろりときてしまう。何ともつらく、悲しいことですけど、でもこれは悲劇ではないんですね。
ラストの数行は、涙をながさずには読めないでしょう。

パロディ作品と最初、書きましたが、でもこれはたんなるパロディに終わることはなく。全く異なったひとつの作品であるのだ、ということ。
それがいえますね。