「さよなら僕の夏」レイ・ブラッドベリ

さよなら僕の夏

さよなら僕の夏


あの名作『たんぽぽのお酒』の続編が出版されました。なんと前作から約50年後の出版というから、驚きますね。今年でブラッドベリ氏は87歳になられるそうですが… 歳をとっても変わらぬ、小説世界に、ファンは落涙ものでしょう。
と、思ってずっと本を読んでいったのですが、最後の作者あとがきで、また驚いた私でした。
出版されたのは確かに50年後だったけれど、これが書かれたのは50年前。つまり『たんぽぽのお酒』が出る前に、この続編部分をあわせた長編として完成されていたというのです。
けれど、出版社から「最初の9万語を小説として出して、第2部は準備ができたと思うときまでとっておいたら」と言われたとかで、前半部分を『たんぽぽのお酒』として世にだすことになったそうです。長すぎるから、という理由だったけれど。その後、この作品が完成されるまで、作者のブラッドベリがいいと思うまで、ずいぶん時間がかかってしまったのですね。


これは前作からちょうど一年後のお話。
ダグラスは13歳になっていて、もうすぐ14歳をむかえようとしています。いわば大人への一段階である、思春期に入る直前のお話なのです。

前作『たんぽぽのお酒』では、ダグラスのおじいちゃんのエピソードが思い出されれます。《たんぽぽのお酒》を熟成させるおじいちゃん。ダグラスは、《たんぽぽのお酒》のひと瓶ひと瓶のなかに、ひと夏の思い出そのものをつめこみます。ダグラスの住む、峡谷のある町に次から次へと起こった出来事のすべてを。
そして冬のさなかにそれを取り出せば、ダグラスの胸のなかだけは、夏そのものの輝きがよみがえってくるのです。

『たんぽぽのお酒』はそういう話でした。エピソードを次々つないで、ひと夏の思い出という、数珠繋がりの模様を描き出してみせました。


そしてこの『さよなら僕の夏』。
これは、思春期の鳥羽口に立ったダグラスが、大人への第一段階として、町の老人たちへ闘いを挑む話です。弟のトムと、友だちのチャールズらと軍隊を組織し、真っ向から挑もうとするのです。老人たちの繰り出すチェス盤上の駒こそが、自分たちを操っているのだと、チェスの駒を奪い取ったり、いいや、時を作り出して、時間を進めているのは、郡庁舎の時計塔の時計なのだ、と爆竹を燃やして、機械を破壊しようとしたり…。


少年たちは、自分たちを大人へと成長させようとする、時そのものに挑んだということなのでしょうか。その象徴として、クォーターメインを中心とする町の老人たちがいる。

クォーターメインが仕組んだ、バースデーパーティで、計らずもダグラスは、老人たち=時と和解したかにみえます。
この場面で登場してきた少女リサベルは、ダグラスにとってその一歩を進む重大なきっかけになったといえると思います。
老人が少年に、少年が老人に・・・お互いを共感し、受け入れることで、何かが変わったんだ、と私は思いました。

年老いていく老人たちにもダグラスたちと同じように少年だった頃があったのだと。

少年が大人になり、やがて人生を謳歌し、年老いていく。
それはこの世に生まれた者ならば、避けられようもない、自然の摂理です。
ダグラスはその、進み行く時の流れをとめようとし、失敗したかに見えるけれど、その実、負けてはいないんだと思います。
もちろん時を止めることは出来ません。出来ないけれど、ダグラスはクォーターメインに関わることで、それ以上の何かを得たんだと思います。

それが最後のあの場面に至る、のでしょうね。
それより前。峡谷の幽霊屋敷で、ダグラスとリサベルが目撃した、《幽霊》は何だったのでしょうか。
足音を立てたり、叫び声をあげたり、かなり煩い幽霊たちでしたが。最後には、「渦巻く群れとなった白い形が家から急に飛びだして〜峡谷へと消え」ていってしまいます。
これは、何だったのでしょう。その章の最後の場面で、リサベルがダグラスに・・・したことを思うと。そちら関係の何か、のようにも思えますが。


前作では、たんぽぽが象徴的イメージとしてあったのに対して、こちらでは夏の別れフェアウェルサマーという花が先行イメージとしてあります。最初に、おじいちゃんがダグラスにあれが夏の別れだよ、と教えてくれるシーン。
あそこのところを、最初は何の気もなしに、つい読み流してしまったけれど。
これには深い、深い意味があったのですね。読了してはじめてわかりました。


とまどい、拒みつつも大人になっていかざるを得ない少年たちと、年老い、穏やかな老後を待つのみとなってしまった老人たち。
両者は最初はいがみ合い、互いを理解しようともしません。が、最後には歩み寄り、互いが互いになり代わり、おそらくは想像力をもって互いの存在を理解することになっていくのです。
少年時代の永遠の夏との別れと、新しい段階へと勇気をもって一歩ふみだした者の物語。

前作以上に、せつなくそして感慨深い作品でした。こういう区切りというか、少年時代との決別というのは、あってしかるべきものなのかもしれません。きちんと向かい合って、お別れを言わないと、あとでいろいろ問題が出てくるかもしれませんよ。
大人であって大人でない大人たちとか。
そういう意味では、ダグラスがクォーターメインと対峙したことはいいことだったと思います。ダグラスにとっても、クォーターメインにとっても。
ダグラスは大人になるということがどういうことなのか想像できたと思うし、クォーターメインはかつて少年だった自分自身を取り戻すことができたんだと思います。