「図書館の神様」瀬尾まいこ★★★

図書館の神様

図書館の神様

最初、本プロで知って、まずタイトルに惹かれました。本好きの心をくすぐるような響きがありますよね。
しかしながら、読み始めは主人公、清の性格に?でした。
正しいことをするのが大好きで、スポーツ好き、一度決めたことはとことんやりぬく、そこにはどんな甘えも許さない、という…私とは全く正反対の性格(^^ゞ


初めての挫折で、清はそれまでやっていたバレーを止め、地方の大学に進学し、そのうえ好きでもなんでもない国語講師になってしまう。
おまけに、バレー部の顧問になれるかと思って入ったというのに、文芸部の顧問なんかになってしまって。
学生時代はバレーばかりで、本なんて読もうとも思わなかったという清。
仮にも国語の先生(講師といえど)をやっているくせして、文学なんて大嫌いで、授業も必死で食らいついていくのがせいいっぱいで、生徒に質問されませんようになんて願ってるくらい。大体、国語講師になった理由が、「日本人が日本語を勉強するという最も簡単そうな道を安易に選んだけ」だという。これ、本気で国語の先生を目指している人が聞いたら、絶対に怒ると思います。


文芸部の顧問になったときだって、こんなクラブ廃部にしてしまえばいいのに、なんていう始末だし。唯一の部員の垣内君が静かに読書している隣で、清は一人で何時間でも本だけ読んでいるなんて理解できず、体育系のクラブに入って運動してなきゃおかしい、なぁんて言ってしまう。この辺までは、清に対する反感がつのるばかりで、ちっとも良くありませんでした。


でも文芸部で垣内君と時間を過ごすうちに、清もだんだん変わっていったようで。読書なんてしたこともない清が、山本周五郎の「さぶ」や夏目漱石の「夢十夜」などを読んで感動したり。最後には、最初はあんなに嫌がっていた文芸部の味方をするようになって、廃止しようとする他の先生方に対して対抗したりする。

清が変わっていったのって、やっぱり垣内君のおかげでしょうね。この垣内君というのも、中学時代はサッカーなんてやっていたのに、高校に入るとぱたりとやめてしまい、文芸部一辺倒になる。垣内君の卒業間近に、先生たちがいうんですね。彼はもっと体育会系のクラブに所属していたら活躍していただろうに、文芸部なんかでくすぶっているだけで残念な結果に終わってしまった、とか。そういう教師たちには、けっして理解できないことなんだろうな、と思いました。


実は私も高校時代に、文芸部に所属していたことがありました。といっても、垣内君のように文芸作品に親しむ、というクラブじゃなかった気がしますが。でも、同じように地味なクラブでした。唯一活気づくのは、秋の学園祭の頃。このときばかりは、といろんな作家のことを調べて模造紙に書き出したものを教室に張り出したり、部員自身が書いた詩や小説を集めて、小冊子(会誌みたいなもの?)にまとめて出したり。
これを当日、100円程度の小額で売るのですが、なかなか売れなくて苦労したりしてね。また絵本好きな人の考案で、手作り絵本を作って展示したり。これも苦労したっけ。普段、絵なんて描かない私が、一心不乱に下手絵を描いてみたり…


なんか思い出してみると、いろいろありましたねぇ。この本を読み終わって感じたことといっしょ、でした。
なんかこれが青春、ってことだったのかな?なんてね。何のドキドキも格別これ!って言えるようなこともなかった私だけど、終わってみれば何もかもが懐かしく思えて。学校の図書室の思い出とかも。読んだ本の記憶はうすれても、あの雰囲気だけはいつまでも忘れないものなんだろうな、って思います。


ストーリー的にすごく面白い、というふうではなかったけれど、何故か心に残る作品だった。この本を読み終えて私はそう思います。


*本のプロ レスより*

まゆ > 私は自分と清がすごくだぶってしまって、前半は読んでてつらかったのです。清ほど極端ではないにしても、ああいう感じの人間だったと思うので。バリバリの体育会系だったのに、国語の教師なんかやってるとこも一緒(でも、本読むのは好きだったけど)。だけど、清がゆるゆると変化していく過程は、心地よかったです。もしかして読んだ人それぞれに、そういう自分のことを思い出させる物語かもしれませんね。 (2004/02/08 18:38)
まゆさん > 私もこの本を読んだら、幼い頃の自分を思い出していろいろ考えてしまいました。そういう意味でもよい作品でした。
今日の朝日新聞の読書欄に、瀬尾さんの記事が載っていましたね。なんてタイムリーな!と思ってしまいました。 (2004/02/08 23:25)
北原杏子 > ↑のレス、間違って自分の名前を書くところに、まゆさんのお名前を入れてしまいました。ごめんなさい… (2004/02/08 23:26)