魔法の時・・・「少年時代」


少年時代〈上〉 (ヴィレッジブックス)

少年時代〈上〉 (ヴィレッジブックス)

少年時代〈下〉 (ヴィレッジブックス)

少年時代〈下〉 (ヴィレッジブックス)


これは、1991年に発表されたロバート・マキャモンという作家の大傑作です。…と、思います。というのは、私はこの作家さんの小説を読んだのは初めてだからなんですが。他の作品についてはわかりません、けれどきっとそうに違いない、そう核心できるほどたくさんのものをこの小説はくれました。


上下巻あわせて900ページ以上もの大作を読んで、いまはちょっとボーっとしています。こういうのを万感胸に迫る、というのでしょうか。この本の感想をひとことで述べることは私にはとうていできません。
言葉では表現できないような思いがいまもまだ胸の奥にもやもやと巣くっていて、当分引きずってしまいそうな予感がします。


ありとあらゆるエッセンスがここには詰まっています。数え切れないほどの・・・光、喜び、悲しみ、友情、冒険、謎、そして魔法・・・


1964年の3月から翌年の1月まで。
12歳のコーリー少年の体験した約一年間の出来事。それらは読者を魅了してやみません。少年の日にのみ感じるであろうものごと。
それは懐かしくて、ちょっとせつなくて。出来るならもう一度もどりたい、とそう願わずにはいられない。少しだけ大人になって、なくしてしまった宝物のように。
この物語はそんな物語です。


そして同時に極上のミステリーでもあります。


コーリー少年が牛乳配達をしていた父と体験してしまったこと。突然、道路に飛び出してきた一台の車、父のトラックがそれを避けて・・・その結果、その暴走車は崖をこえ、底なしとも言われる湖、サクソン湖に転落していってしまうのです。
コーリーの父は見捨てることはできないと、車を追って湖に飛び込むのですが、そこで見つけたのは無残な他殺死体。そのときから、コーリー少年の一家に暗鬱な悲劇と闇の魔手が襲いかかってくる・・・
否応なしに襲ってきた事件の謎を追って、コーリーの手探りの追跡の旅がはじまります。



けれど主人公は12歳の少年。12歳の少年の生活にはさまざまなものがあり、そればかりに関わっていられません。
導入部の第一部「春の薄闇」を経て、第二部「悪魔と天使の夏」、第三部「燃える秋」には、そうした少年たちが夢中になってとりくむたくさんのものがありました。
かがやける夏の日に、紅葉燃える秋に…
新しい自転車、友達と連れ立っていく午後の映画館、ホラー雑誌に描かれた怪物たち、夏の日の飛翔、犬たち、森での冒険、悪漢との対決、カーニヴァルの出し物(とりわけ恐竜)。
そして訪れた冬の季節。第四部「冬の冷酷な真実」のなかで語られた厳しい現実。
思わず涙が落ちます。


これらを追っていくだけでもう、秀逸な作品を味わうことができます。


メインの殺人事件を縦糸に、こうした細かいエピソードのそれぞれを横糸に、物語は織られ(語られ)、小さなキルトの端切れがやがては大きなタペストリーに(絵画に)と完成する。


冒険小説であり、成長小説であり、ほのかな恋愛小説でもあり、当時の米国の人種差別問題を問う小説でもあり・・・と同時にすぐれたミステリー、探偵小説でもある本作品。
この物語を創り出した作者はまさに物語作家(ストーリーテラー)というべき人物でしょう。


1991年時点の作家が、自らの少年時代を回想し、(奇しくも、いや当然ながら?作者の生年はコーリー少年と同じ1952年でした)綴った物語。


彼のなかにはさまざまな物語、さまざまな人生があるんでしょう。本文中で書かれたたとえのように、彼は多くの書物を有する「図書館」なのですね。
多くのものごとを記憶しており、それを思い出す(取り出してみせる)、つまり物語を書くことができるのです。
コーリーの担任の先生だった女性の言葉、忘れられません。


「記憶する」ということ、そして「その記憶を宝物のようにしまいこむこと」、そうすれば「その気になれば千回もの人生を生きることができる」
「決して会うことのない人に、行ったことのない土地に住む人に、あなたの話を聞かせられる」


このことこそ、「魔法」だったのではないでしょうか。私にはそう思えます。
少年の日の喜びと悲しみと怖れ、その他すべての感情、経験を呼び起こすこと。それを世界の多くの人びとに見せ、聞かせること。
この「魔法」によって、人びとは自らの過去の出来事をありのままに想起し、ほのかな郷愁の思いにかられることになる。
それは自らの内面への旅路にも似ていて。こみあげる思いに、口ごもることになるのです・・・。


巻末に添えられた作者自身のあとがきに、影響をうけたさまざまな事物が列挙されています。
私の知らない名前もある、ちょっとだけ知っている名前もある…
そして最後に、レイ・ブラッドベリ。やっぱり!って感じ。
作中で、コーリーがお父さん(このお父さんがまたいいお父さんなんだ!)から、ブラッドベリの『太陽の黄金の林檎』をクリスマスのプレゼントにもらっているところを読んで、思わずにやりとしてしまいました。その前のカーニヴァルのところでもそれを感じましたし。


エピローグもよかったですね。いろいろな小さなことが忘れられず、ちゃんと生きているということがとてつもなく嬉しかった。感動の涙が心にあふれます。


最後に、さまざまなことを教え、贈ってくれたこの本に、心からの感謝を。
私もできることなら「魔法」を忘れないで生きていきたいです。