涙がとまらない… 「その日のまえに」


その日のまえに

その日のまえに


図書館でやっとこの本を借りる勇気ができました。
勇気、というと大袈裟ですが・・・ 本が出たばかりのころ、ネットで冒頭部分を試し読みしてから、何となく興味をもってきました。
でも重たい内容のようでしたから・・・もうちょっとあとにしようかな、と先延ばしにしてました。それがひょんなことから、本を予約してしまって・・・
意外にも早くまわってきたので、やっと読みました。


最初の「ひこうき雲」「朝日のあたる家」あたりはまだ落ち着いて、ある程度の距離をもって読めました。でも・・・次の「潮騒」あたりから、何となく心がざわざわ言い出してきて・・・次の「ヒア・カムズ・ザ・サン」で、ちょっとうっとなって。
それからついに「その日のまえに」突入。・・・で、ついに涙腺がふるふるっとなってきちゃいました。でもまだまだ、だった。そんなのは序の口。
次の「その日」を読みながら、私はいつのまにか泣いていました。もう一文読むたびに泣き、あとでその文を思い返してもまた泣いて・・・ってくらいのものでした。
さすがに号泣まではいかなかったのですが、もし私が実際、同じ体験をしていたのだったら、絶対にそうなっていた、いやならないわけがなかったでしょう。


とくにつらかったのは、残される家族のこと。夫はもちろんですが、やはりいちばん気にかかるのは子どもたちのことです。私もあの主人公たちと近い年齢で、しかも子ども(おまけに男の子2人)がいます。
あの兄弟のことを思い返すと、ほんとう今でもおかしいくらいに泣けてしまうんです。
いろいろ心にぐっときたシーンはあったのですが、とくにうっとなったのは、ついに「その日」がきてしまって、その朝病院へいくためにタクシーを拾いに駅まで歩いていく場面です。
そこで、弟のほうがたんぽぽの綿毛を傘で散らす。それをみた兄が怒って弟をつい叩いてしまう。弟は、ずっと遠くに飛ばしたほうが綿毛にとってはいいことだから、という。けれども兄のほうはそのことに違う意味をもたせて見てしまう。だから怒って叩いた。
何でもないことにずっと違う意味をもって感じてしまう・・・そのことの辛さ。


そしてついにその瞬間がやってくる。動きをとめる機械。頭をさげる主治医。
子どもたちの泣き声。年老いた両親の涙・・・
そのひとの胸に飾られた黄色いタンポポの花。


そして綿毛は永遠に飛んでいってしまった。その瞬間から、この家族にはまた新しい日常がめぐってくるんです。どんな悲しい別れがあろうとも、毎日は必ずやってくるものなのだから、生きているものにとってはそっちの方がより重要で。
いつしか胸のおくに沈んだ重石が、だんだん小さくなっていく日がくるのだと。


自分の大切な家族、友人、恋人が永遠にいなくなってしまう。突然に、あるいはある程度の時間をおいてゆるやかに死がやってくる。
死をむかえた人びとはあれほどに穏やかになれるものなのでしょうか。
私にはまだわかりません。自分のその日がどういうふうにやってくるものなのか、まだ考えたくはないし、近しい人のそれも同じです。
でもいつかはわからないけれど、それは必ずやってくるんです。そのことをふっと夜、ひとりでいるときに考えてしまって、今でもゾッとしてしまう弱い私です。
逝ってしまったひとも、残された家族も、この本に書かれたようにただ美しく、清らかなかたちで受け入れられるものなのでしょうか?


きれいごとのような気もする。現実は本に書かれたことのように美しくまとまるはずはないのかもしれません。
けれどここに、一遍の真実もないわけじゃないと思うのです。
だからこそ心うたれるものがある、意識せずあふれこぼれていく涙があると思うから。


看護師の山本さんの言葉が、心にのこっています。
自分の生きてきた意味、死んでいく意味、のこされた家族にとっての意味・・・
どんなに考えてもでない答え、それを考えることが答えなんだという、その言葉。
考えること、思い出すこと。
そしていまを必死で生きていくこと。一瞬一瞬の、いまという時間をだいじにして、生きぬいていくこと。


そんなことを思って、ふと自分の後ろをふりかえってみると、平凡な幸せすら愛しいものに感じてくるはず、です。


若いふたりの出発地点になった安アパートのエピソードなどを見るにつけ、私自身のことにも引き受けてみてしまって、ふつう以上に感情移入してしまいました。
なんとも言えず、いい本・・・というか、ずっと忘れがたい本になりそうです。


また重松作品を手にとってみたいと思います。
どなたかお薦めの作品があれば、教えていただきたいです。