「きよしこ」


きよしこ

きよしこ


また重松清にハマってしまいました。これは図書館から借りてきてすぐに読み始め、たった一日で読んでしまった〜


感想はひとことでは言い尽くせない気がしますが、そこをあえてひとことで言うとしたら、思わず涙ぐんでしまうほどいい話、であります。


吃音の少年、きよしの、子ども時代の入り口から出口まで。
悩み惑いながら、だんだん成長していくすがたがなんともいいです。読後感、爽やかです。
父親の転勤によって、小学校で5回も引越しと転校をくりかえした少年。
いつも最初の挨拶がどもってしまうことを気にして、不安でいっぱいでした。
笑う人もいるし、からかう人もいる。
逆に無視されることもあったり・・・きよしにとってはつらい日々のほうが多かったのかも。
でもなかには、そうじゃない人もいる。態度や口では違っていても、心のなかの根っこの部分では少年に対して温かい目で見ていた友だちがいた。
いい先生にも恵まれたり、逆にひどい無神経な先生もいたりしたけれど。
好きな野球に打ち込んだり、作文や読書感想文が大の得意だったり、言葉がどもっていたとしても、十分きよし少年は素晴らしい時をすごしていたと思います。


だからこその成長であろうし、きっとまわりの人もそういう少年のすがたをしっかり見てきたと思う。
そりゃ吃音が重くなれば、いろいろつらいこともあったでしょう。
でもきよしは頑張ったんだね。見守ってくれる人々の愛情のなかで。
それはすごいことと思います。


ひとことに吃音といっても、カ行がダメだったり、サ行がダメだったり、濁音がダメだったり、人によっていろいろなんですね。
そんなこといままで思いもしなかったです。どもるというと、単に引っ込み思案で喋るのが苦手なあまりに、言葉がでにくいのかな、とか、本人がどう感じているのかなど考えずに、なんかちょっと可笑しいくらいに思っていたかもしれません。
精神的なトラウマとか、病的なものもあったのですね。これからは認識を改めようと思いました。


冒頭にでてきた、きよしこというのは、いったいなんだったのだろうなぁ?とずっと思っていました。
きよしの心の声? それとも・・・?
でも、きっと伝わるよ、という言葉。人間はひとりぼっちじゃない、抱きしめてくれるひとや手をつなぎ返してくれるひとも絶対にいるんだ、というきよしこのメッセージ。
思わず、心がほんわかなりました。