朱川湊人「わくらば日記」

わくらば日記

わくらば日記

朱川湊人さん3冊目です。これも、昭和の時代の連作短篇集です。昭和30年代・・・具体的にいうと昭和32年夏から、昭和35年春まで。東京荒川区の下町を舞台にしています。語り手である「私」ことワッコ(和歌子)が、遠い日の回想をするように起こった出来事を淡々と語りつづけていく、とそういう趣向になっています。

「追憶の虹」では、千住にあったお化け煙突の話が載っていました。火力発電所の4本の煙突が見る場所によって、3本に見えたり2本に見えたり、それがまとまって異様に太い煙突1本に見えたりするという代物。この煙突のことは、以前「こち亀」のアニメ放映で見たことがありました。読んでいて、ああ、あれなんだな…と思い出しました。この煙突は東京タワーが建つようになるまでは、東京でいちばん高い建造物だったのですね。こういうところで時代を感じるのかもしれません。

主人公姉妹がこの煙突を見にいった、幼い日の冒険。ワッコこと和歌子とその美しい姉、鈴音(リンネ)の物語がここから始まったのでした。
この姉にはあるふしぎな力がそなわっていて、ある場所や人を“見る”ことによってその過去にあった出来事をまるでビデオの映像のように見ることができるのです。どうしてそんな力が備わったのかは謎ですが。

でもそれによって、ワッコの姉は痛ましい事件の映像を見てしまったり、見ないでもよい光景を見てしまったがために後々まで思い悩むなど、弊害も生じるようになってきたのでした。ある事件がきっかけで、それが警察に知られてしまうんですが・・・。それから、いろいろつらく痛ましい物事を見続けることになってしまうのです。

「夏空への梯子」では、現代の犯罪にも通じるような事件が描かれていました。女子高生殺人事件の犯人の少年の心理。鈴音が少年を“見て”、すべてがぼんやりしていて、まるで夢のようだった、というのが印象的でした。何が原因かは、やっぱり少年が育った境遇のせい、ということになるんでしょうか。少年の孤独をうけとめてくれる人が周囲にいなかったから。というのもあるでしょうし。日本にもかつてはこんな差別があったのだ、と愕然とする思いです。

「いつか夕陽の中で」で描かれた茜ちゃんの立場もまた同じことでした。貧しさによって娘を売ってしまった母親の心情を思いやると、胸が痛くなります。
姉妹の母の言葉にもはっとしました。人としていちばんしてはならないことは、自分を信じてくれる人の信頼を裏切ることだという・・・。
本当にその通りですよね。そして、茜ちゃんと姉妹を得意の柔道で投げ飛ばすお母さま、素敵です。礼儀作法にうるさいだけじゃなくって、こんな特技までお持ちだったとは。どういう出自の人かさらなる興味が湧いてきました。

「流星のまたたき」では、鈴音の初恋が描かれます。手品好きの好青年だった笹森さん。ぼさぼさ髪に黒縁眼鏡、がりがりに痩せた体をした…彼は宇宙から地球に降ってくる流星塵を捉えるという研究をしているというのですが。見つかったとしても、ほとんどゴミにしか見えない流星塵にロマンを託して、宇宙への熱い思いを語る彼。同じくふしぎな力をもっていた鈴音が、彼に惹かれていくのは必然だったかもしれませんね。塵を“見”ようとして、結果的に3日間寝込んでしまった鈴音。すごーい、そんなのが見えたんだ!と思いましたが、そのあとの展開にはちょっと唖然でした。まさか、まさかそんなふうになってしまうとは。
あれから毎年正月に送られてくる年賀状。鈴音はどんな想いで見ていたのでしょう。力があるのだから、“見る”ことは可能だったわけだし。知らないふりをずっと通したのか。

そして最後「春の悪魔」。春先に変質者が多いのは、そういうことなのか!と思わず納得してしまいそうでした。もしも本当にそんなことがあったら、怖いですね。姉妹のお父さまの話、不気味でした。ふたりの父がいったいどういう人だったのかは、ここでちらっと触れられていました。頭のよい理知的な方だったようですね。でもどうしてこのお父さまが、姉妹とその母といっしょに住んでいないのか、それについては謎のままでした。
鈴音と和歌子のその後についてもまだまだ先が長い気がします。これは続編があるのでは、と思ったら、まさにその通りでした。
今年2月から「野性時代」で連載がはじまっていたようですね。早くこの続きを読みたいです。単行本になって読めるのはいつのことやらわかりませんが、首を長くして待っていようと思います。