いしいしんじ「絵描きの植田さん」

絵描きの植田さん

絵描きの植田さん

いしいしんじさん、また読みました。(もう何冊目か、忘れた・・・)でもって、これもまたよかったです! 「トリツカレ男」の次にきそうなくらい。素直に感動できる話です。

まず冒頭、「絵描きの植田さんは(中略)並はずれて器用な一匹の家ねずみのせいで」という文章にちょっと「トリツカレ男」に出てきたねずみを思い出しました。でも、あのねずみはいいやつでしたが、ここでの家ねずみはちょっと・・・ですね。

火事で恋人を亡くした植田さんが、耳が聞こえなくなって、高原の一軒家に引っ越した、そのあとのお話。近くに湖のある、美しい森のなかの家です。そこに植田さんはひっそりと、近隣の人びとに見守られながら生活をおくっています。そんな植田さんのところに、ある母子がやってきて・・・というのですが。

その娘というのが、またいい。耳のほとんど聞こえない植田さんに対して、じつにまっすぐに向かってくる。ひたむきな瞳が目にうかぶようです。父親が古本屋をやっていて、いまはちょっとゴタゴタがあり、いっしょには住んではいないのですが、その古本屋というのが植物関係の本が多かったそうで・・・。少女メリはそのせいで、じつにたくさんの植物の名まえを覚えているのです。植田さんのスケッチブックに添えられた植物の名まえ。ただ列記してあるだけなのに、何とも味わいがあって、いいですね。

おまけにメリには、フィギュア・スケートの才能もある。母親の才能を譲りうけたのかもしれませんが。植田さんにスケートを教えている時のセリフがいいんですね。「曲がるときはあきすどろぼうが天井をあるくみたいに」とか。メリに指導してもらえば、だれでも滑れるようになれそうな気がする。

表層なだれ、という言葉の意味、私は恥ずかしながら初めて知りました。谷から雪が昇ってくるだなんて!何やら恐ろしい。それを植田さんに教えてくれていたオシダさんというキャラもまたよいです。いしいさんお得意の、ほのぼの系?今まで読んだ小説のだれかれが浮かびそうな・・・

地元で行われている、火祭りも素敵! 騒いでおしまい、っていうお祭りじゃなくって、より神に近いお祭りなのです〜 同じころ、メリとイルマ母子がやってきた、湖の「向こう側」の町では対照的に雪祭り。花火をあげたり、派手なやつ。なのに、植田さんがいる側のお祭りのほうがより印象的なのはどうしてでしょうね。
火の回りを躍りながらまわっていく、動物たち(の扮装をした村人たち)。風情がありますね。絵になりそうです。

そこで、絵描きの植田さんの登場、なのです。植田さんの描いた絵、見てみたい!!と思いました。健康雑誌の編集者さんの言葉がまた嬉しいですね。忘れずにいてくれたんだーっという。植田さんだけでなく、読んでるほうも嬉しくなります。

こうして読んでいった私ですが、さいごに思いがけないプレゼントがありました。この本はいちいち何章というふうに分かち書きされていないんですが、いちおう段落ごとにページを変え、そこに空白の1ページが必ず挿入されていました。
何か無駄が多いかな、いやいやこれも、いしいさんの本ならではのものよね、とか思ってましたが。

でも、これって・・・・・こういうことだったんですね!?嬉しい悲鳴です。最後に、こんな素敵なしかけがあったなんて。ほんと思いがけないプレゼントです。
これは、耳の聞こえない植田さんからの、私たちへのしずかな贈り物・・・なのでしょうか。

ラストのシーンも印象的。ぬけるような青空に、白い氷の上をすべっていくスケーターたち。
1、2、3、4・・・と数えながら、ターンをくりかえしていく植田さんと、そしてメリ。ふたりの円が大きくふくらんでいくごとに、心もまたそっとよりそっていくような、そんなうれしいラストでした。

またしても、ありがとう!いしいさん!! と、感謝をこめて想いを伝えたくなりました。
この本はまた、「本屋で見つけられない本」(bk1書評より)だそうですが、もしいつかどこかで出逢うことができたら・・・その時、私はきっと即効レジに突進していくことでしょう。ページにしたら140ページほどの短い話なんですが、妙に心に残った本でした。いしいさん初心者の方にも、ぜひぜひオススメしたいです。