「さよならの空」朱川湊人

さよならの空

さよならの空

これは今まで読んだ朱川湊人さんの作品の印象と違った印象でした。冒頭、読んで、あら?これはSF?とか思っちゃいました。夕焼けが消える?どういうこと?と思いましたが。

それはこういうことです。
地球のまわりにあるオゾン層。それに穴が空いてしまう、それはオゾンホールといい有名でしょう。その場合、極地の空のうえに出ると限られていましたが、この本ではそのオゾンホールが極地だけじゃなく、あちこち移動しながら出現する、という恐ろしいものになっていました。

移動する、ということで、それは「ワンダリング・ホール」と名づけられたのですが、マスコミ関係者が一度「パエトーン・ホール」と言ったら、それが一般的になってしまったとか。ギリシャ神話のパエトーンにイメージをかぶせての命名だそうで。暴れ者のパエトーンが太陽の馬車を御しきれなくなって・・・というお話。暴走する様子が似ているので、こういうあだ名がつけられたようです。

移動する、というのが曲者で、突然それが大都市の空のうえに出現したりしたら、いったいどうなるか?地上には人体に有害な紫外線がふりそそぐことになります。通常の紫外線はUV−Aといって、私たちにもなじみのある名前ですが。
それよりひどいUV−Bは失明したり、あとから怖いことになりそう。さらにUV−Cになると、もう大変。それに当たった生物は生きていないとか。恐ろしいですね。

この話はその移動する穴をふさぐために、ある方法を発見した科学者の話がメインになっており、またそのせいで夕焼けが消えるという事態(そしてそれは150年間続くのだとか)になるのですが、それに付随するようにまた別の物語が織り込まれている、といった構成になっています。まさに、それぞれの人びとに固有のドラマがある、という。朱川作品にふさわしい内容になっています。

ただ、ここからは苦言なのですが。せっかく面白く話が展開してきた、というのにあのラストはいったい何なのでしょうか?ファンタジーだとでもいうのでしょうか?それとも宗教観?
私は幻想的なものも全く大丈夫なのですが、これはちょっと唐突すぎるような気もしました。

せっかく壮大なドラマになりそうなものを、あれっ?これって結局、人情物?だったの? SF物かと思ったら・・・ってところでした。まあ人情物なら、朱川湊人さんだったらお手の物でしょうが。せっかく、ワンダリング・ホールだの、謎の物質ウェアジゾンなんてものが出てきて、いったいどんな内容になるのか、と期待させてくれたのに。夕焼けが無くなってしまうという、ショッキングな内容からいっても、もっと重いテーマになるかとも思えたのに。
所詮、ノスタルジックだった、ってこと? でもあの場合、見えた人は幸福でしょうが、何も見えなかった人(キャラメル・ボーイのように)の場合はどうなんでしょう?ちょっと寂しいですよね。

私は、クライトン博士を助け、自分から進んでいいことをしよう、とする少年の思いに涙がでました。ここの部分はよかったです。このあと、少年はどうなっただろう?とか想像すると。エンディング部分で、大丈夫のような雰囲気はありましたが。きっと大きくなって、いつか自分の子に、パパの子ども時代には夕焼けが・・・とか言って、思い出話をするんでしょうね。そういうところ、朱川作品の十八番みたいな?
やっぱり、この作家は何を書いても、ノスタルジーってひとことに集約されていくのかな。