「夢館」佐々木丸美

夢館 (講談社文庫)

夢館 (講談社文庫)


館シリーズ、完結編です。この話では、崖の館からいったん離れて、また別の話が綴られていきます。その主人公の名は、千波。そう、あの千波ちゃんと同じ名前です。
冒頭部分に、母親が子どもを身ごもったと知ったとき、夢のなかにあらわれた少女が、お母さん私は千波です、と自ら名乗ったという話があります。

そう。それはまさしく、あの崖の館で死んだ千波です。それまで二度生まれ変わった千波が次こそは、と望んで生まれてきたのでした。


でも当然ながら、最初からその記憶があるわけではなくて。4歳になるまでは普通に両親のもとで暮らしていました。それが突然、変わったのが両親が交通事故で死んでしまってから。親戚にひきとられようとしていた千波が、小さいころからくりかえし夢に見てきたガラスの家を思って家出して。その逃げ込んだ先が、たまたまあの吹原さんの家だったんです。


その出会い(再会?)がまた印象的でした。一日中歩き続け、自分がいまどこにいるかもわからないまま涙と汗でぐちゃぐちゃになって、たどりついたある旧家の庭園。
夕陽に照らされたその庭で、千波は自らの運命と再会できたのです。「背が高くて脚が長くて杉の木のようだった」人物、吹原は、迷子のように飛び込んできた千波を抱き上げ、そのまま家に引き取っていきました。


吹原27歳と、わずか4歳だった千波の再会。

回りのものから見たら、ものすごく唐突で、理解のできない出来事だったでしょう。
実際、相当反発がありました。


当時の吹原家には、以下の人物たちがいました。

吹原氏の乳母の椿。執事の伊賀谷。お手伝いの柊子、同じく加代。大学から派遣された女性秘書の中峯。親の代から近所づきあいをしていた美奈。

このうち加代は、千波と同い年の女の子です。似たように吹原家に引き取られ、使用人となるべく養育されているという、これまた不思議な存在。

そこへ赤の他人である、千波が飛び込んだのです。
いわば他人ばかりが共同生活しているような、奇妙な家庭です。
そのなかで吹原だけが主人として君臨している。まるで吹原王国のように。


その家のなかで、千波の位置は単なる使用人ではなくて、養女というものでした。同い年の加代にとってそれは許しがたいものだったでしょう。嫉妬、わがまま、少女特有の傲慢。
表面上は仲良さそうに見えても、底にあるものは・・・
幼いながらも女の特質を備えていたにちがいないのです。


直後、吹原は千波をそんな確執ある家にひとり置いて、インドに旅立ってしまいます。仕事のため、仕方なくということでしたが、これには何かの考えがあったとしか思えなかった。というよりあったんでしょう。彼なりの計算が。


何せ最初から七年の契約で行ったというんですから。それまでも外国と行ったり来たりの月日を重ねてきたようでしたが。行きっきり、帰ってもこないというのは。執事の伊賀谷や乳母の椿があれこれ嘆いたのは当然。


そのあいだ千波は放置されたまま。手紙を出しても返事はこない。当然電話など来るはずもなく。何も答えのもらえない日々でした。
流れ往く月日のなかで、主人の吹原と引き離され、心を病んだ女性たち。美奈と柊子が次々に病に伏し、二度と愛する主人に会うこともなく亡くなっていきました。


結局、11年の月日が流れたのち吹原が帰国。事件が起こったのはそのあとでした。千波の身辺にあやしい影がつきまとうようになって…。ちょっとした行き違いのようなことから、千波が非難され、家のなかで孤立するようになってしまう。そのなかで起こったあの事件。それでまるで奇蹟としか呼べないような出来事が起こったのでした。


夢のように綴られた断片から、それが読者に伝えられます。夢、といえばこの本のタイトルの『夢館』が想起されるように、この物語のなかには夢というキーワードがあちこちに見かけられます。


千波がいつも見ていた夢、海のそばの崖の上にたつ、ガラスの家の夢がその主たるものでしたが。執事の伊賀谷がかつて見た不思議な夢。主人の吹原恭介が砂漠で立ち往生しているという、まるで予知夢のような夢。地下室の闇に閉じ込められた千波が、狂気のなかで見た幻夢。繋がった電話のベル。絵のなかに現われた少女の影。


そうしてラスト。これより後はない、という切羽詰った状況のなか、千波がついに成し遂げた事。愛の奇蹟などという安っぽい俗な言葉をいうのは躊躇われますが。でも、これはそれ以外の形容のしがいのない出来事でした。


そしてここに、三冊にわたって書かれてきた物語が完結をみた、のでした。「黒衣の少女」千波と、青年画家、吹原恭介の最初の出会いと別れ。その後、三度にわたる人生の物語。リフレインのように、次こそは出会い、恋しあいたいと願う、二人の恋人たちの物語。


その奇蹟のような愛の軌跡。みごとに描かれています。『崖の館』『水に描かれた館』『夢館』と、三作そろって初めてひとつの物語になる。最後には、あざやかにひとつに繋がれる本。
そこには、人間の生死における感情――愛情、憎悪、悲哀、苦悩…さまざまな感情の波が、情緒たっぷりに描かれています。詩的な、リズム感にとんだ文章も素晴らしいのひとこと。
佐々木丸美さんの世界が、十二分に描写されています。