「自転車少年記 あの風の中へ」竹内真

自転車少年記―あの風の中へ (新潮文庫)

自転車少年記―あの風の中へ (新潮文庫)

これもまた初めて読む作家さんでした。同名の単行本がありますが、この文庫はその単行本の文庫化ではないそうです。単行本は主人公が4歳のころからはじまっているそうですが、文庫はその単行本の8章以降、18歳になった主人公らがいろんなことを経験して、やがて30歳を越え、いい大人になっていくその過程を描いています。
けれど彼らは大人といっても、その心には少年だったころのときめきとか感動のようなものを未だ残して成長してきてしまったような感がありますね。いわば大人であり、少年でもあり、ってところ。少年時代のことを描いた小説は数限りなくあるでしょうが、この本もそれらの小説に負けないくらいよい本でした。

そして、その中心にあるのは自転車という乗り物。子どものころはこれが生活の移動手段になっていたのに、だんだん大人になって成長していくうちに、自転車でいける場所の範囲が特定されてしまうようです。
ここからここは自転車の範囲、ここからあちらは車、電車、飛行機と…。
ところが、この小説に出てくる登場人物たちは、少年だったころと変わらず、自転車を愛用しています。ふつうなら電車や車ですませてしまう距離を、わざわざ人力のかかる自転車で行ってしまう。
これって、すごいことなんでしょうね。私には想像もつきません。よくぞ、という気がします。とくに、相模湖から長野、諏訪湖を経て、日本海まで至ってしまうって、これってどういうことなんでしょう。そんなの、車でいってさえ大変そうなのに。自分の脚力だけが動力という、あんな自転車で行ってしまうだなんて。正気の沙汰ではない、って思ってしまっても不思議ではないでしょう。

実をいうと、私は自転車には乗れません。その意味で、あの、どこまでも自分の力でいけるんだ、という少年たちのきらきらしたものを見ると、憧れのような感情ををおぼえずにいられませんでした。風をきって自転車をこいでいく、あの感覚。私には想像もつきませんが、きっとすごく気持ちのよいものなんだろうな、と。

この小説は、私のような自転車とは縁もゆかりもないような人間をも楽しませることができる、貴重な本でした。もちろん自転車に親しんでいる方だったらもっと、だったかもしれません。親から子へ、またその子へと、引き継がれていく思いのようなものも感じました。主人公の昇平が、自分の息子、北斗に自転車を教え、自分の思いを伝えていこうとするところ。とてもよかった。
また最初はたったひとりのやりとげたこと(相模湖から日本海へ自転車でいく)だったのに、それがいつのまにか大学のクラブの行事、OB会へ、さらに一般の人にもひろがって、八海ラリーとして毎年のイベントとして定着していったこと。ひとりの力でやりとげたことが、もっと大きなものに化けていったという、そのひろがり感がすごくよかったです。

私は自転車に乗ることを知りませんが、この小説を読むことによって、爽快な風を感じることができた、と思うのです。おかげさまで、少年たちの成長物語でもあり、自転車のバトンを親から子へと引き継いでいく家庭小説でもあるこの小説は忘れられない一冊になりました。

単行本のほうもぜひ読んで、文庫との違いを楽しんでみたいと思います。