「時のアラベスク」服部まゆみ

時のアラベスク (角川文庫)

時のアラベスク (角川文庫)


東京、冬。出版記念会の席上に届けられた一本の真紅の薔薇から、惨劇の幕が開く。舞台は、ロンドン、ブリュージュ、パリを経て、再び東京の冬へ。相次いで奇怪な事件が続発し、事態は混迷の度を深めていく。精緻な文体と巧妙なトリックを駆使して、人生の虚飾と愛憎を描く、本格長編推理。第七回、横溝正史賞受賞作。


服部まゆみのデビュー作といわれる本書は、耽美で洗練された世界で次々に起こる奇妙な事件を追って、東京からロンドン、ブリュージュ、パリと駆け抜けていく、目くるめく推理劇です。
本当に、これがデビュー作だなんて、その後の活躍がわかろうというものですね。

主人公であり、語り手でもある根岸亮の周りには個性的な人物がひしめいています。
まず、亮の幼馴染で親友でもある、小説家、澤井慶。
彼は、小説家としての腕前はいざ知らず、現実生活ではわがままで、やりたい放題のお坊ちゃまという雰囲気で、美形ではあるけれどそれがちょっと嫌味になるほどの個性的人間です。

そして亮の従姉妹の小磯千秋とその弟、小磯昇。
姉は美大、弟は芸術学部の映画科に入学、という優秀な姉弟です。
とくに弟は、有名な映画監督にその才能を認められ、順風満帆な人生が約束されたようなもの。

他、文芸雑誌の編集長である、慶の父やその弟のシナリオライター、映画監督、イラストレーター、カメラマン、はてはゲイバーのママやバーテンなどなど、バラエティに富んでいます。

とくに目をひいたのは、慶の本の装丁をしたイラストレーターの佐々木春美。彼女は大の買い物好きで、何かというと大げさに騒ぎすぎ、時に軽薄にすら感じてしまうような、五月蝿い女なのですけど、どうしても憎めないキャラというか、いても許してしまうところがあるのですね。
浮ついたところも多々あるようで、最初はどうも苦手っぽかったのですけど。
事件が進むうちに、彼女の存在が大きくなってきたような気がします。

慶の小説の映画化で決まった、取材旅行にも無理やりついてくるし、ただ海外へ行きたいだけ、それも自腹でなく、というこすからい部分もあったりして、必ずしもいい印象ではないんですけど。
後半、たった一度だけそんな彼女がおとなしくなったシーンがあって、それは奇妙に印象的でした。
いつも元気な人が落ち込んでいたりすると、気になるというあれでしょうか。

事件が起こった場所などにも、居合わせちゃったりするし。特別なことは何もしないで、ただ騒いでるだけなのに。憎めないキャラクターでした。

事件は東京から、海外へ、そしてまた東京へ、と場面展開が非常に早く、息つく暇もないという感じです。
海外取材旅行では、旅の風情もあってよかったですし。
とくに、ジョルジュ・ローデンバッハの小説『死都ブリュージュ』の舞台になったブリュージュの街はたんなる古い町というだけではなく、幻想的で歎美な雰囲気のこめられた、まさに本書の内容にふさわしい街であり、それはそっくり、そのまま慶の小説の舞台でもある、魅力にみちた街なのでしょう。


そして慶への脅迫者である、糸越魁。正体不明の彼は、写真では美青年。かつてファンレターを慶に出したことで、文通することになったのですけど、あるとき、彼は澤井慶のファンから、脅迫者へと化してしまう。
それはなぜなのか・・・・彼は最初、ロンドンにいて、それからまるで、取材旅行の一行を追いかけてくるように、ブリュージュ、パリ、東京へと、神出鬼没に現れます。


糸越魁=脅迫者、犯人だろうとの見方をされているのですが、そこのところは推理小説の常。
最後には、あっといわせるような結末が待っています。ミステリーの常ということでそういうのも、珍しくもないのかもしれないけれど、やっぱり残酷です。性格的にどんなに破綻していようとも、基本的なところは信じていたのに、という感じでした。
真犯人であるそのひとは、なぜそんなことをしてしまったのだろう、と暗澹たる思いに囚われてしまう。
結局、あんな結果になってしまったのだから。何にもならない。どうしようもない、という脱力感だけが残るという感じでした。
犯人がやってしまったことの犠牲になり、影へと押し込められてしまった人の思いを想像しても、どうにもやりきれない。

そうして、主人公の亮にも、周囲の者たちにも、この事件は色濃く影響し、決して忘れられぬ記憶になっていく。
エピローグ、最後の締めに書かれた言葉も、涙なくしては語られぬ言葉のようで・・・
まさに時のアラベスク。美しく、幻想的な人間模様でした。