「あねのねちゃん」梶尾真治

あねのねちゃん

あねのねちゃん

心理学用語で、イマジナリー・コンパニオンというのがあるそうです。
それは「実在しない友だち。孤独な状況の続く幼児が、それを補完するために作り上げた〈想像上の友人〉」。
いわゆるごっこ遊びの延長のようなものなのかもしれません。
でも、ごっこ遊びは、典型的な幼児の遊びの一種だろうからまだいいけれど、現実にはいない存在に向かって話しかけたり、遊んだりする光景はちょっと危ないものがあるような気がします。
その子の心に何かの問題が生じている証明のようなものだから・・・


この本にもそういう女の子が出てきます。
幼稚園になじめず、友だちもできずにひとり固まっているばかりだった玲香が、唯一見つけた友だち。
それが実在しない友だち、あねのねちゃんだったのでした。
でもそのあねのねちゃんは、普通のイマジナリー・コンパニオンとはちょっと違うようでした。
お手玉が上手で玲香に教えてくれたり・・・、幼稚園バスに乗るところから一日中ずっと玲香のそばにいてくれる、頼りになる友だちだったんです。
あねのねちゃんに助けられ、いじめっこの男の子にしかえしをすることに成功した玲香は、それがきっかけで幼稚園の友だちとも仲良くできるようになって・・・
それから、あねのねちゃんは玲香のそばから消えていった。まるで自分の役目が終わったといわんばかりに。


けれど決してそれで終りではなかったことを玲香は知るようになる。大人になって、恋人の修一とつきあうようになってから… 玲香のピンチにあわせたように現れるあねのねちゃん。
不思議なことにその姿は、幼児の頃のままで。
それからあねのねちゃんは、玲香を助け、彼女をふった修一に復讐をする・・・最も残酷な方法をとって。


玲香にとって、あねのねちゃんは一体何なのだろうか? その疑問で前半はひっぱっていってくれます。
最初は孤独だった玲香が作り上げてしまった幻か何かのように思えていたけれど、それもその後、あることであねのねちゃんが第三者にも見えていたのだということがわかって、どういうことなのかいっそうわからなくなります。


けれど後半になってくると、突然、話の流れが変わってきます。
あねのねちゃんが現れた理由、それがこういうことなんだ、とはっきりとした形で示されます。
何だか思ってもみない方法でした。正直、なんだそういうことだったんだ、と少々がっかりもしました。

そういうもんだと割り切って読めば、後半部分も楽しめないことはなかったですけど。


玲香の母親が出てきたときには、すごい豪傑の母親がいたもんだ、とちょっと飽きれました。
その母親がワンマン経営する会社アスターの話・・・ あきれつつも、面白く読みました。
でも、その社員が中国で・・・・・という下りは、少々眉唾な気もしました。中国の奥地でどうのこうの、というのが現代物と思っていたこの話とはかみ合わない気がしたんです。私だけかもしれないけど・・・
なんかそこだけ別物という気がした〜

なんて言えばいいのか… ちょっと幽鬼的な不思議な話を読んでいるつもりだったのに、あれれ?何か合理的に無理やり解明されちゃったよ〜、てな雰囲気でした。


ラストの玲香の母親の実家でのバトルは、なんだなんだという感じ。
ずいぶんおどろおどろしいところまできちゃいましたね。妖怪対決か!?


まぁ面白かったとは思います。ラストもよかった。あねのねちゃん、今度は・・・と玲香のこれからが想像できるかたちで終わったのは、よかったと思います。