ルイス自身の物語・・・「ナルニア国の創り手 C.S.ルイス物語」

ナルニア国の創り手 C.S.ルイス物語

ナルニア国の創り手 C.S.ルイス物語

これは図書館から借りてきました。「ナルニア国ものがたり」を書いた、C・S・ルイスの伝記本です。
ナルニアのお話は読んでいても、作者自身についてはあまり知らなかったので、今回読めてよかったです。

幼少の頃から、亡くなるまでの年月。敬虔なキリスト教徒であり、研究熱心な大学教授であり、また想像力豊かな作家でもあったルイスの生涯を、時に物語ふうに時に説明調に細やかに書かれています。
実際、この本は図書館のヤングアダルトコーナーに置いてあったのですが、子どもでも十分読める内容です。

写真や絵(?)も入っていて、ルイスってこういう人だったんだ〜、とわかってよいです。実像がうかびそう。
意外だったのが、最初独身時代には、ルイスは身なりには全くかまわず、いつでもボロに近いような、着心地はいいけど見栄えが・・・といった服装をしていたそうで。
あのナルニアものがたりを書いた作者とは思えないような風貌だったそうです。

それがアメリカからきた、彼のファンだった女性(ジョイ・グレシャム)と出会い、結婚することで変わってきたのですが…
この女性は夫に虐待されていて、そのことで悩んでいたんだとか。
それをルイスに手紙に書いて送ったら、ルイスから返事がきて(ルイスは送られてきた手紙にはすべて返事をしていたそうです)、それがきっかけとなって、自らイングランドに旅行してルイスに会う機会をもったり、後には暴力的な夫と離婚して、息子ふたりを連れ、ルイスの援助にすがることになったり。

なんて都合がいいんだ! 見ず知らずの、それも高名な作家のお情けにすがるとは!と思ってしまいましたが…。
ルイスって本当に慈悲の心をもった人だったのですね。

それは幼少の頃の体験によるものなのかもしれない。
お母さんを癌で亡くすのですが、そのショックは相当なものだったでしょう。それまでずっと幸福な日々がつづいていただけに。幼い子どもにとって、母親という存在がどのようなものであったのか、想像してみただけで、それはもうわかります。

おまけに、母の死後、ルイスとその兄ウォーニーは、妻を亡くした嘆きに溺れて周囲がみえなくなった父親に省みられず、ずっと寂しい時を過ごしていました。
ルイスが戦争で負傷して入院していた時にも、父は一度も見舞いにきてくれなくて、そのことでも深く傷ついていたそうです。

学校についても同じで、父親は無頓着にいちばん授業料の安い学校(寄宿学校)を選んでそこへ息子たちを送りこんだのですが、そこがまた最悪の学校でした。絶望的にまずい食事、教師による虐待の数々… 厳格な聖職者であった校長はしつけと称して、生徒に鞭打ちの罰を行っていた。環境も最悪。せまくて貧相な教室に寝起きするのは屋根裏部屋(そこに8人も詰め込まれた)、入浴は週に一回だけ! まるで収容所のような生活だったという。(ルイス自身がそう呼んでいます)

結局、ルイス兄弟は父に嘆願して学校を変えてもらったのですが、それまで全くひどい学校生活を送っていたそうです。
自分の子どものことなのに。この父親はいったい何を考えていたんだか・・・・。愛する妻を亡くしてそれっきり自分の殻に閉じこもってしまったんでしょうね。悲劇です。

そんなこともあってか、戦争で亡くなった友人の母親を自分の母親のように慕って、その娘とともに死ぬまで面倒みてやったり。後に妻となった女性ジョイの面倒をみてやったことも含めて、本当に他人への思いやりに満ちた人だったのですね。

信仰あついキリスト教信者だったルイス。
そんな彼が、幼い子どもたちに、キリストの教えをわかりやすい言葉でつたえようと試みた本が、「ナルニア国ものがたり」だったわけです。
ルイスの長年住まった、キルンズという古い家に、戦争でロンドンから疎開してきた子どもたちを預かることになって。そのうちの一人の子どもが、廊下にあった大きな衣装ダンスに興味をもち、ルイスにいろいろ聞いてきたのだそうです。
タンスのなかにかくれてみたり…。この出来事が、第一作「ライオンと魔女」のアイデアになったとか。

ほか著作のことなど、いろいろと面白く読みました。
あのトールキンとの親交についても。ずっと親しい友人だったのに、ある時を境に疎遠になってしまったりして。
トールキンがルイスのナルニアについて批判していたことも知りました。性格の違いなのかな?それは何となくわかるような気がしました。
めざすものが違ったんでしょうね、きっと。

ジョイ・グレシャムという女性との出会いと別れについても、細やかに描き出されていました。結局、ルイスはこのジョイという女性までも癌で亡くしてしまうのですが、それまでのたった3年間ですが、ルイスの結婚生活は幸福なものでした。
ふたりの息子(デーヴィッドとダグラス)との生活にしても、有意義な日々を過ごしていましたね。広大な敷地内に馬屋を作って、馬を飼ったり、池で泳いだりスケートしたり、かと思えばアイルランドウェールズに旅行したり。大学での教鞭生活も充実していたみたいだし。人生の絶頂期だったでしょう。

それだけに妻亡き後の生活は悲惨だった…。楽しい思い出があればあるほど・・・・晩年は寂しい生活を送ったルイス。
ナルニア国ものがたり」を実際に書いたのはそれよりもずっと以前のことなのでしょうが・・・私は思います、ルイスはナルニア国に自分の希望の国を見ていたのではないだろうか、と。
それであの最終巻「さいごの戦い」でのラストがくる。
よみがえった、真(まこと)のナルニアは、ルイス自身が望んだ地だったのではないでしょうか。
人が死んだあとにまでも、あのような美しい国にいけるのだとしたら、それが約束されているのだとしたら・・・どんなに心やすらげることか!
そこで人は永遠に若く死の恐怖におびえることもなく、ひたすら楽しく、苦しみも悲しみもなく暮していけるのです。永遠の憧れの地、ナルニア・・・

そんなものあるわけがない、甘すぎる!と言っても。それを望まない人はいないでしょう。深い憧憬と鎮魂の思い。それはルイスにとってはキリストの家、天国の家だったのでしょう。ナルニアが象徴するものはキリスト教の世界。そうと知りながら、それはキリスト教徒でないもの、私たち日本人にも、通じるものがあるのではないかと思えます。
世界じゅうの人が共感することのできる物語、それがあの「ナルニア国ものがたり」でした。

キリスト教徒であり、文学者であったルイス。その生涯・・・それは本当に、愛と苦悩に満ちた生涯でした。