「果しなき流れの果に」小松左京

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)


恩田陸山田正紀の対談集『読書会』にて、この作品の紹介を読んだ私、いつかは読んでみたいものだと思っていましたが、ここに機会を得、読むことができました。
実は、私は小松左京作品を読むのは初めてなのです。日本SFについても疎く、星新一を少しかじった程度…。
こんな私にはたして理解できるものだろうか、と思いつつ読み始めたのですが。

(ここから、ネタばれしてます。未読の方はご注意を)

最初の序章的部分では、そうでもなく、これなら読めるかな?と軽い気持ちを抱きかけました。しかし、本題の、第3章からあとの話は、正直あれこれこんがらがってしまって、ストーリーを追いかけていくだけでせいいっぱいでした。


何よりわからなかったのは、どうして野々村が誘拐されてしまったのだろうか、という点。(これは2章部分ですが)次に登場してきたときは、ただNと頭文字で呼ばれ、何かよくわからないけれど使命があってそれによって行動している、というふうでした。
プロローグでの、古墳発掘の場面で、出会った白い服の男。それが時間を移動して、あちこちにいっているんだ、ということは分かりましたけど。
野々村が誘拐されたと聞いて、急いで出て行った番匠谷教授も、なにやら奇妙なことになってしまって・・・

そして唐突に、エピローグというのが入ってきますが、ここでは老婆になってしまった、野々村の恋人、佐世子が出てきます。
その佐世子婆さんのもとにいつの間にかふらりとやってきた老人… これについては、『読書会』でどういうことなのかわかっていたので、気にせずに先へ進みました。

そして第3章以降。
現代から近未来へ、そして超未来へ―― ここからが話の始まりです。
ここから、また違った話に突然、飛びます。

正確には何年先なのかわからないけれど、21世紀前半・・・その時代の地球では、太陽に異常が発生し、大変動の時――つまり地球滅亡の時まで、あと数時間ということになっています。
わずかな人類は宇宙船に乗って、宇宙へと、火星基地へ難を逃れようとするが、大半のものは地球でそれぞれそのときを待つ。あるいは地下シェルターを造ってそこに潜んだり、あるいはもう全て諦め、滅びることを受容して・・・地上でその時を待とうとしている。

ここの場面では、SF映画的な感じがして、すんなり読めた気がしました。
出てくる登場人物たちにも感情移入できた感じ。地球で、移民たちの選抜委員となって最後まで活躍するハンス、「選ばれた人」となって宇宙へ逃れる船に乗れることになった恋人のエルマ、そしてかつてそのエルマをハンスに譲って火星基地に去った松浦。
エルマはその後、松浦に再会する。が、その時にはまた異様な状況に陥っていたという・・・ 滅びの時を目前に、突然、救いの手をさしのべてきた謎の宇宙人。
地球人類はその手を取ることにしたのですが・・・得体の知れぬ異星人の宇宙船に、振り分けられて、どこへとも知らされず運ばれていく恐怖。その中で松浦とエルマは互いを慰め、抱きしめあうのですが、それすら異星人たちにはお見通しで。
その後がまた怖い。突然、どこかに到着したといわれ、着陸態勢についた宇宙船。わけがわからぬうちに、勝手にどこかの星に下ろされてしまう。それもばらばらに。気付いたときには、松浦には新たな恐怖が…。

そこから先は、また錯綜しています。異星人アイの意識をうけ、松浦はI・マツラと変貌します。
松浦たちの地球とはまた別の地球が登場してきたり、海の底に沈んだ国、『日本』を再建しようと、世界各地で宗教活動のようなことをしたあげく、宇宙の果てへ新天地をもとめ、そこに新たな『日本』という国を作ろうと、移住する人びとの姿が描かれたり・・・そういうところでは、ちょっと興奮もしました。

マツラたちの異星人グループと、Nの属するグループとは対立していて、マツラたちは時間跳躍して逃げるNを追って、あちこちの時代へジャンプしている。こういう図式はぼんやり浮かんだけれど、Nは野々村だということはわかっているけど、やはりなぜの野々村はこのグループに所属することになったのか。
そしてこの異星人グループはなぜ野々村グループを捕らえなければならないのか。
その答えは後になってようやくわかりましたが、なかなかわかりづらかったです。野々村がこれに参加した理由は結局、わからないままだったけれど。

詳細についてはわからないところ満載だったけれど、でも全く魅力がないということではないです。冒頭の中生代の地球で、吼えたける恐竜のいる場所に、突然鳴り響く電話のベル。恐竜と電話という、全く関係ないものを持ってきたセンスというか、美的感覚というか、そういったものはやはり凄いな、と思います。
それに、最終的に野々村(アイ?マツラ?)が達した宇宙のイメージ。これらの映像が脳裏に浮かんでくるようで、たいへん映画的だと思いました。全く、超意識とか、進化の階梯をのぼりつめたあとにはいったい何が待っているのか?よくわからないことだらけでしたが。理論的なことはいっさいわかりません。
ただ単純にストーリーを追いかけ、関係性について理解しようとするだけでした。

そしてラスト。肉体のなかに落とされたかつての〈彼〉が、誰になってしまったのか。その肉体って・・・? 最初は分からなかった私でしたが、そんな人なんてすっかり忘れてたよ!〜な方でした。(教えてくれたNさんありがとう)
あ、そうなのか、と拍子抜けしたほどに。

最後に、あのエピローグの情景が繰り返されます。佐世子のもとに帰ってきた老人・・・彼は、本当の意味での彼ではなかったのかもしれないけれど、あの穏やかな結末はよかったです。壮大なストーリーでしたが、最後にもどってきたのは、地味な日本の日常の一こまであったこと。なんでもない動物や植物、頭上に広がっている大空に、渡っていく風、光・・・そんな取るに足らないものの中に宿る命こそが、大切なものなのだ、ちっぽけな人間にとっては、と・・・。そういうことが心にしみじみと染みてきました。

果しない流れの果に、見出したものはそんなものだったと・・・ そして果てしない彷徨の末、老人は老婆に語り始める。
長い、夢物語だったと。そう締めるラストは非常に美しい、感動的なラストだったと思います。


もう、この壮大なこの物語を、いま読めて、それだけでよかったです。まだまだ理解が十分でないところも多々あると思いますが、いつか再読して理解を深めるのもいいでしょう。著者のほかの作品にも、機会をみてまた挑戦してみたいです。