「シメール」服部まゆみ

シメール

シメール

新進気鋭の評論家・片桐は、満開の桜の樹の下で「精霊」に出会う。幻を手に入れたいと希う一念が生み出す、果てしのない迷宮と底知れぬ闇。それはまた、人の心という闇の…。幻が実在となるゴシック・ロマン。

『この闇と光』を読んで以来、服部さんの描かれる「闇」に、心地よいものを感じてきました。この作品でもそうです。最初から引き込まれ、読みました。けっこう一気だったかも。


片桐という男は、いっけん普通なんだけど、実は・・・・という面をもっています。いわば、その心には闇がすくっていたわけで。
その思いの向くまま、片桐は学生時代の同級生の息子、翔に対して異様な思いを抱くという・・・
翔の両親ときたら、まるきり普通の人間(言葉は悪いが俗物?)で、たとえば翔の愛する書物だの何だの理解する頭も、気も持ってないという人たち。
それに対して、片桐は正反対の人物であり、そこのところが翔の心をひきつけることにもなったわけですよね。
自分と共通項のある人物、それも年上の男となったら、父に対するような尊敬の念を抱いていたのかもしれません。

片桐さえまともな反応をしていたら、ですが。
しかし、このまともな、ってのも何でしょうねぇ。何がまともで、まともじゃないのか。
翔の両親を見ていると、ちょっとわからなくなってきてしまう。

とくに母親。次々に贈り物をもって、訪問してくる片桐に対し、遠慮するでもなく、どんどん好意を受けていってしまって、しまいには片桐の家に一家そろって住み込むことにもなるんですが。
あれもまた普通から見たら、非常識で。この人たちの考えかたも、ちょっと普通とはかけ離れているような気がしてならない。
家賃払ってるといったって微々たるもんだしね。
結局は資産家の片桐におんぶに抱っこのわけでしょう。
まともじゃないっていったら、この人たちもまともじゃあないのかもしれません。

けど、その片桐自身だって、決してまともというわけじゃないわけです。何しろ、翔に対してよこしまな目で見てるわけだし。
最初は土産でつり、翔の好きな書物(自身の著作)でつり、最後には一家ごと絡めとるようにして、翔を自分の縄張りのなかに取り込もうとしている。

抱いている思いっていうのも、多分に自己中心的なものだし。決して、翔自身の身に立って考えてないし。利己主義そのもの。
ただただ、人形のように扱って、自分のものにしようとしてるわけだものね。


こんな大人たちに囲まれて、翔自身は不思議なほど純粋で、まっすぐな少年です。
彼が、自分でロールプレイング・ゲームを作ろうと、シナリオを練っているようすがたまらなくほほえましい。
できるなら、その完成を見たかったです。


作り物のゲームの世界だけど、そこにはひとかけらの真実も含まれています。物語の進行とともに、だんだん両者がぶれてくるようで・・・最後の魔道士マクファイトの裏切りでは、まさに重なってしまうし。

翔は、ゲームの世界と、現実の世界と二重に生きていた、そんなようなもんなのでしょう。

結末はちょっと悲しかったです。片桐は異様だったけれど、翔を愛する気持ちには嘘偽りはなかった、というのでしょうか。
何もかもすれ違い、ボタンをかけちがってしまった、という感じです。

翔の父も、母も、わが子のためによかれと思って行動し、あのような結果をむかえてしまったし。
翔自身に絡む謎(途中でそのからくりはわかりますが)、双子の兄の存在も複雑なものがありました。
兄、聖の代わりをしていた翔の思い。
その兄よりももっともっと特異な存在で、才能ある少年だったのに。

そして最後に片桐のしてしまったこと。それこそ切なく、悲しい結果でしょう。

シメール・・・・幻。すべては幻だったとでもいうのでしょうか。片桐の歪んだ心の闇にぽっかりと浮かんだ幻。光の存在・・・

なんともいえぬ読後感を抱きました。透明な悲しさ、そんなようなもの。すべてを知ってしまった少年のたどった道は、引き返すことができなかったのでしょうか。
単なる耽美小説などではなく、家族の問題、兄弟の問題と、さまざまな問題が絡んでいる作品でした。
さながら迷宮、ダンジョンのように・・・・